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終戦記念日

kage

2017/08/15 (Tue)

今日は、終戦記念日ですね。
テレビでは、この日が近づくと特集を組み、私達に戦争のお話しを伝えてくれます。

年月が経つにつれ
戦争体験者の方々が受けた悲惨な事実は風化されようとします。
 でも
体験された方々のご子孫はもちろん、
血を受け継がない私たちも、この悲惨な事実を風化させてはならない。
そう 切に願うのです。
        終戦

TSS放送 報道特別番組
わしらの声は、届くかのぉ 8/6 深夜2時~
  ~被爆者75歳NYへ行く~ 

-広島- 箕牧智之(みまき としゆき)さん76歳。
原爆投下の翌日、家に戻らぬ父親を探すために母親と広島市内に入り、被爆した。(当時3歳)
仕事をリタイア後、被爆体験を次世代に伝えたいという思いから、語り部活動などに参加するようになる。

今年6月、アメリカNY国連での会議に向かった。
被爆者の声を届けるために。
それに向け
・被爆された方の話を聞く・絵や写真を集める。
・核兵器は廃絶しかない。せめて禁止でなくては!との厳しい声を聞いた。
・原爆ドーム前で核廃絶を求める署名活動をした。
  自分は被爆体験者である、体験者はみな高齢である「焦っているのだ」と説明しながら…
 「生きているうちに核兵器を失くして欲しいのだ」と。
が、歩く人たちは思うように足を止めてくれない。…厳しい現実。

72年前の悲惨な広島の現状を伝えてゆかなければならない。
 それが私達被爆者の使命なのだ
」と。
また
高齢になり、行きたくても行けない人の分まで本当は努めなければならないが、
 いろいろ心配が有る…
」 と語った。

会議で発言の機会があるかは確証はなかった。
13時間の空路は、被爆した76歳の身体を疲弊させた。
目指す場所は一つ、国際連合本部
6/15 第2回 核兵器禁止条約制定交渉会議 
世界81か国の代表が集まった。
が、見つめる先に日本の姿は無い(参加していない)。
アメリカも…
核の傘の下にある机には国の代表が座っていない

初日が終わり、箕牧さんは被爆者として発言できる機会を待ったがそれは叶わなかった。
が、長崎の被爆者代表の方と共に、議長に集まった署名を渡した。
すると議長は「被爆者の苦しみが中心にあるべきだと気づかせてもらった」と語った。
でもまだ伝えるべきことはある…j。
現実は、傘の下にある日本→ジャパンの席は空席…
空席が目立った。
あれだけの国が(廃絶を)反対しているんだと思えばさみしい」と。
翌日
市民がどれくらい考えてくれるのか…私たちの行動は、テレビ新聞でもなかなか報道されないでしょう。 私たちが国連で叫んだり街頭で大声を上げても公にされないのはさみしい
それでも
どれだけの効果があるのか…やるだけ、やらにゃいけん!」と身体に鞭を入れる。
 会議途中、出来るだけ多くの代表者に被爆者の声を届けた。
教会にいる日本人の紹介で、行って中学生たちを前に話しをした。
話しの最後に
 ~核兵器によって失われた広島や長崎の被爆者の命、再びこの世に戻ってくることはありません。
  No more 被爆者!No more 広島と長崎!
~ と締め括った。
 ある女子生徒は、「箕牧さんたちにこんな事が起こったというのは申し訳ないと思いました。お話に感激したし、悲惨だとも思ったし…」 と泣き崩れた。
彼女に対し「悲しい話をしてごめんね」と詫びる箕牧さん。
その他にも「私自身も、もっと原爆のことを話せるようにならなくてはいけないし、これから平和についてもっと考えなければと思いました。」と語ってくれた女子生徒。
最後に、全員で写真を撮り終了した。
 「来る前は一抹の不安を抱えていた。
  ただ傍聴して帰るだけの役目なのかな?と…
  でも来てよかった。国連の門をくぐって良かった
。」
さらに、
次から次へと課題はありますから、その動きを見つめながら、市民運動を続けなくてはいかん。」 と。

帰国から2週間 稲が青々と茂る田んぼを見つめる箕牧さん。
テレビでは、待っていたニュースが流れた。
核兵器を法的に禁止する史上初の条約が改革された」 と。
核兵器禁止条約 122か国が賛成し採択した。
そこには
架空兵器使用の被害者 ヒバクシャおよび核兵器の実験により 影響を受けた者にもたらされる許容しがたい苦しみと害に留意する---』 とあった。
はじめて、被爆者の苦しみや平和への願いにスポットがあたった
これを観て箕牧さんは、声なく何度も頷いた。
 その報告を胸に、箕牧さんは原爆ドームに花を手向けた。

やっとスタートラインについた。その間 被爆者が亡くなりどれだけ多くの犠牲者を生んだことか
 これからの人間の幸せを思ったら、核兵器の無い世界でなければいけん。「核兵器が無くなったよ!」とおみやげを持ってあの世に逝きたい…と。

~声を上げても、世界はすぐに変わらない。

  それでも、叫び続ける人がいることを忘れてはいけない。

   平和への訴えが、むなしく消えてしまわないように~
 

最後までお読みいただき有難うございました。
平和の願いを込めて 応援ありがとう 

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この記事へのコメント

kage

感謝

色々と緊張した世界情勢の中、70年以上も戦争をしないで来た日本、そしてその日本で生まれ育ったお陰で平和を享受できる事にとても感謝しています!

僕の亡き祖父は戦争で横須賀に徴兵されましたが、直ぐに終戦となり、元気で戻って来た様です。関東大震災や第二次世界大戦、2つの大きな災難を逃れた祖父、凄い体験をしたのだなあ、と改めて思います。
関東大震災の話はブログに以前アップしましたっけ!?まさに、奇跡の生還でした。
これからもずっと平和であり続ける事を願っています!

Posted at 18:22:21 2017/08/17 by アーサー

この記事へのコメント

kage

Re: 感謝

有難うございます^^
本当ですね?
いろいろ有りますが…この日本に生まれ育ったこと色んな意味で感謝です。

ご祖父さまのお話し…大震災・大戦と激動の世を生き抜かれたのですね?
お元気で戻られたとのこと、何よりでした!
 私の記憶では、ブログに上がったのを拝見していませんが、
でも、確かアーサーさんを知る以前の記事を全部は拝読していない気がしますので定かでは有りません。
※もしアップされていない場合は、是非記事としてアップして戴きたいですね。勿論今年じゃなくてもいいですし^^

う~ん、奇蹟の生還されたお祖父さま有ってのアーサーさんなのですね?
とても感慨深く感謝なことですよね(*^^*)

Posted at 09:43:39 2017/08/18 by みらくる

この記事へのコメント

kage

ミラクル様
こんにちは(⌒∇⌒)ノ"

貴重な記事を繰り返し、私、拝読に御座います。

ミラクル様のブログのお仲間でもある、アーサー様よりのコメントもございましたですね(*^^*)

わたくしの両親も戦争真っ只中を経験致しました。

父親は、様々な戦地へと派遣された当時の話を生前、沢山 聞かせてくれました。
大勢の死に直面し、哀しみに暮れた事、大変に辛かった経験を毎日、聞かせてくれました。

そんな貴重な、そして残虐な記憶の話にも、わたくしが必ず耳を傾ければ、愛する我が子に覚えておいて欲しいと、言って折りました。

今、わたくしたちは戦争の無い平和な国、日本に人生を生きて折ります。

わたくしたちの祖先、先祖たちのその多くの経験が今の現在の平和が在るのだと、わたくしは心から思います。

感謝を忘れてはならないと存じます。

Posted at 12:14:17 2017/08/21 by 天使の雫

この記事へのコメント

kage

Re: タイトルなし

天使の雫さま 有難うございます^^

雫さまのご両親も戦争を体験されたのですね…?
それは壮絶な苦しい体験だった事でしょう。
厳しく貴重な体験を、雫さまに話して聞かせて下さったとのこと
きっと小さな胸を痛めただろう事を推測し胸が痛みます。

人々の中には、「過ぎ去った事は忘れて今を生きるべき」といった心情の方もおられるでしょう。
けれど…私の考えは違います。
こと、戦争については、甚大な被害を受けた我が国、また、我が国が犯した罪も忘れてはならないのだと思います。
おっしゃる通り、先祖さまの大きなご苦労があっての平和です。
戦争の失敗を肝に銘じながら、幼くして・若くして逝かれた方の分、私たちは感謝して生きなければならないと感じます。

Posted at 15:28:28 2017/08/22 by みらくる

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kage


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