FC2ブログ
2018 12 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. »  2019 02

感動!戦争を憎むあるアメリカ人の秘話~

kage

2017/08/07 (Mon)

 奇跡体験! アンビリーバボー 8月3日(木)放送
ストーリーテーラービートたけし
スタジオメンバー 剛力彩芽 バナナマン
 ~心から戦争を憎む あるアメリカ人の信念

         愛と平和

もう少しで終戦記念日ですね…。
この小さい島国日本に原爆を投下した、その時の司令官及び関係する人々を私は到底赦してはならない…と思って来ました。
逃げ惑う人々を笑ってみていたパイロット…。
国全体が挙って手を叩き歓喜に沸いたその事実…。
戦争を早く終わらせる為とは言え、これほど極悪非情な手段を実行して良いものか?
~でも、無知な私は知りませんでした。
あのような激動のさ中に、こんなにも崇高な愛と信念を持たれた方が存在した事実に…。
そのあまりにも素晴らしい活動と功績に感動し涙が溢れました。

アメリカ・カンザス州の農場に生まれた フロイド・シュモー
彼は、母から命の大切さを教えられて育った。
 ある日戦争ごっこで遊ぶシュモーを母は呼びつけ こう言った。
そんな遊びやめなさい、人の命はなによりも大切なもの。
  戦争はそれを一瞬で奪ってしまうものなの…わかった?


シュモーが19歳の時、第一次世界大戦が勃発
彼は母の教えから、銃を持たない部署を希望し後方支援に回っていたのだが…
戦場では、銃を持っていようがいまいが常に死の恐怖と隣り合わせだった。
そんな中でシュモーは、心から戦争を憎むようになっていった。

第一次世界大戦が終わり、彼は高校の同級生だったルスと結婚した。
森に囲まれた農場で育った経験から、森林生物学者としてワシントン大学で講師の職を得た。
 しかし、彼の運命を変える大きな出来事が起きる。
1941年太平洋戦争が勃発したのだ。
大学内では、日系職員や学生の連行が始まった。
彼らにはアメリカ西海岸からの退去命令が下され、従わない者は収容所に強制的に送還された。
シュモーは日系人の強制収容ついて抗議するも相手にされなかった。
結局、彼は自ら大学を退職した。
そして、新たに日系人の支援団体に就職する。
当時、西海岸を離れれば強制収容を免れることができたため、アメリカ中東部で日系人を受け入れてくれる職場や学校を探した。
 また、自然に囲まれて育ったシュモーは大工仕事が得意だった。
彼は、あるじを失い略奪や破壊に遭っていた日系人の住宅の一軒一軒を修復して回った。
さらに、強制収容所を慰問し、希望を失いつつある日系人を慰めた。

そんな活動が3年続いたある日
広島に原子爆弾が投下1945年 8月6日午前8時15分
アメリカ軍B29爆撃機から投下された原爆は広島市の上空で炸裂。
爆心地周辺の地表温度は、4000度に達したとされる
熱線・熱風・放射能で10万以上の命が一瞬にして奪われ、街は焼け野原と化した…。

大統領は、原爆投下には戦争を早く終わらせる効果があるだろうと演説。
言葉通り、9日後に日本が降伏
アメリカは祝賀ムードに包まれていた。
が…「どんな理由があろうと、10万人もの一般の人々が犠牲になっていいはずがない!
~シュモーはある決断をした。
それは、広島に家を建てるというものだった。
そのための寄付を募ったが、人々の理解は得られない…。
そこでシュモーは、アメリカ政府や軍、日本の牧師や広島市長などに手紙を書き、広島に家を建てることの意義を伝え続けた
救援物資を送った日本の青年への手紙には、こう書かれていた。
「この家は、単に戦争中に焼失した何百万もの家の中の一軒に代わるだけでなくわたしたちの想いのしるし象徴となる筈です。」
私たちの家は広島のためのものです」 と。

さらに、建築資金を集めるために毎日募金活動を続けた
すると、小さな子供が「お家がないと可哀想だから!」 と募金をしてくれたのだ。
 ※こんな小さな子供でさえ人の情を持ち合せて居るのに…大人は何をしてるの?
やはり自分は間違っていない…。
その思いを胸にシュモーは人が集まる場所ならどこにでも足を運んだ
少しづつ賛同する仲間も増えていった。
 活動を始めて4年、集まった募金額は4000ドル。 現代の価格にして1400万円にのぼった。

そして、原爆投下から4年後の8月
広島の地にシュモーたちの姿があった。
粘り強い交渉が実を結び、アメリカ軍が渡航を許可。
同時に広島市も彼らに土地を提供したのだ。
 建築には、彼らに賛同した日本の学生も参加。
日本人大工も1人加わり、日本家屋2棟の完成を目指した
そして、建築現場に立てられた看板には英語で建設の理念が書き込まれた。

 ”共に家を建て 互いに理解を深めることで平和が訪れますように

ついに家作りが始まった。
市内の教会に寝泊まりしながら週に6日の作業。
54歳のシュモー本人も、若者と同じ量の仕事をこなした。
 だが、時には「原爆を落としたアメリカ人め!家族を返せ!」と罵声を浴びせられることもあった。
~それでも…どんなことを言われようと、今出来ることを精一杯やるしかなかった

 やがて、地元の人々が作業を手伝ってくれるようになっていった。
誰もがシュモーの家の完成を待っていた。
そして、4人の外国人が日本に来て2ヶ月後ついに2棟の家が完成した!
 無謀と言われたシュモーの思いが実現した瞬間だった。
家は広島市に寄贈され、くじ引きで入居者が決められた。
名称は、地名にちなみ みなみ平和住宅

シュモーの本当の夢は、家を建てることではなかった。
彼は原爆を落としたアメリカ人としてずっと心を痛めたきたのだ。
少しでも日本の…みんなの役に立ちたい!と願っていた。
今、日本人とアメリカ人が一緒に家を建て手を取り合って笑顔でいる!
人種・国籍を超えて手を取り合う姿!これこそがシュモーが本当に望んだもの。
 シュモーらは、翌年からも4年続けて来日する。
広島に21軒の家を建てた後、長崎にも多くの家を建築。
残念ながら、その家の多くは老朽化し現在は取り壊されている。

が、広島に一軒だけ現存するものがある
シュモーハウス』と名付けられた家だ。
 当時の壁がそのままの状態で一部だけ残されている。
 現在はシュモーの功績を伝える資料館となっている。
実は彼は生前、みんなで建てた家だからとの理由で自分の名前をつけることを拒否していた。 そのため、シュモーの功績を知る者は広島でもまだ少ない
彼の功績を忘れない為に敢えて市民たちがその名を残し資料館にしたのだ。

その後、シュモーは朝鮮戦争後の韓国にも家を建てアメリカの原爆実験を非難
エジプトに渡り難民救助活動も行った。
その功績を称え、日本政府は1982年に勲章を授与(彼に)。
翌年には、広島市特別栄誉市民となった。
 その後、平和活動家に贈られる谷本清平和賞を受賞すると、賞金は全て自身の信じる平和活動に費やしたという
そして16年前105歳でその生涯を閉じた
平和への思いを貫き通した人生だった

広島平和記念資料館 今年の春、リニューアルを機にこれまでほとんど語られることのなかったシュモーさんの功績がついに展示されるようになったそうです。 昨年には、『シュモーおじさん』という絵本も出版され、市内の幼稚園や小中学校では4年前から紙芝居などでシュモーさんの話を伝え始めているとのこと。 紙芝居を見た子供の感想は…「戦争のない世界になってほしいというシュモーさんの夢を叶えててあげたいです。」 ですって( ;∀;)カンドウ

 ~ シュモーさんの想いは、確かな形で未来につながっている

最後までお読みいただき有難うございました。
国境を越えた信念が身を結ぶ感動 感じたら 応援してね♪

人気ブログランキング

⇓ こちらも参加中♪

FC2 Blog Ranking

この記事へのコメント

kage

シュモー様(*^^*)

ミラクル様

誠に興味深く、此方の記事を拝読致しました。

因みに、雫はこと、テレビと云うものをかれこれ10年近くは、見て居ないのです(;^_^A

何故かと申しますれば、あちこちのニュース番組を見ているど、私の中の存在が感応し
苦しみを現実として記憶しないで…と。

それから、リモコンすら触れたことが無いのです。

ミラクル様が掲載下さる記事がとてもありがたいです。

御名前は、知り得ませんでしたが、アメリカの御方の中、戦争という悲劇に目を背けることなく、向き合い人種、国籍を越えた様々な活動を成されます方々が居ること
シュモー様の様に

戦争という悲劇を経験していない時代に生まれて参りましたし、とても私たちは現在、幸せなのだと考えます。
また、裏を返せば長きに渡り戦争経験に直接の関わりから、お苦しみに成られました皆々様が居ることも事実に御座います。

シュモー様の信念同様に

ミラクル様の慈愛同様に

雫、世界平和が日課のお祈りにて

地球の平和のお祈りにて
神の御加護をと願い、涙致します。

ミラクル様、素敵な記事をありがとうございます。

ミラクル様の永遠なる
お幸せを心を込めて、お祈り致して参ります。

Posted at 09:01:47 2017/08/08 by 天使の雫

この記事へのコメント

kage

Re: シュモー様(*^^*)

雫さま
記事をお読み戴き有難うございます。
なるほど、テレビは確かに良くない、ことスピリチュアル的な意味でも言われていますね?
私も知ってはいるのですが昔から趣味がテレビなので切り離せない存在です。
ニュース番組だけでなく、芸人の乱雑な言葉遣いや芸は子供たちに悪影響ですよね。

自国への奉仕は勿論、相手国の為に活動されている方は勿論おられただろう事は想像出来ます。
そのような方は、得てして功績を残そうとせず陰で黙々と貢献される謙虚な方々だろうと思います。
シュモ―もそうですね。自分の名を残すことを嫌った。

そうですね?
戦争体験者、そしてそのお子達、戦争の本当の悲惨さを知っている方々が少なくなってきました。
それが戦争というものをどこか遠くの絵空事のように思い軽んじてしまう危惧を感じてしまいます。

雫さまや沢山の慈愛深き方達による地球の平和のお祈りは本当に素晴らしいものです。
が、私は敢えてお祈りはしないのです。
神様の存在は信じていますが、お祈りは出来ないのですよね。
なので、神様に選ばれし雫さま方にお任せしたいと思います。

Posted at 14:35:41 2017/08/08 by みらくる

コメントフォーム

kage


URL:




Comment:

Password:

Secret:

管理者にだけ表示を許可する